【お題記事】ひらけ、納豆の可能性
クレヨンしんちゃんを読んでから納豆が好きになりました(挨拶)
こんにちは。粘り強さの欠片もないアネデパミ( @ane_depami )です。
僕が何の金銭的価値もないのに細々と続けているはてなブログ。
実は『お題記事』というものがあるのはご存じでしょうか?
下の画像はゴリゴリの編集画面なんですが、こんな感じで【今週のお題】というものが表示されるんですね。
ちなみに今週のお題は『ひらけ、納豆の可能性』。
「納豆さえあれば愛はいらない」と常日頃豪語している私としては、これは書かずにはいられません。懸念点としては、お題記事を書いたからと言って何があるのかを私が全く把握していないということです。
例のクラウドファンディングのお店が大炎上している中非常に不謹慎な気もしますが、そこは趣味なのであまり気にしないでおきましょう!
■納豆で世界を救え!サーファクチン!
いきなり世界規模の話をしてしまい申し訳ございません。
常日頃、先輩から広い視野を持つことの大切さを教えていただいているので実践してみました。
突然 of 突然ですが、皆さんは納豆をよそっていた食器を洗ったことがあるでしょうか?無いと答えた人は、納豆が嫌いか、食器を一食ごとに捨てるアンチ・エコ精神の持ち主です。
納豆のねばねばが付いた食器を洗剤スポンジで洗っていると、なーんか「変な感じ」がしますよね。泡立ちも「心なしか」よくなったような、よくなっていないような...
これに目を付けた企業があります。
そう、カガクでネガイをカナエル会社ことKanekaです。
洗剤が汚れを落とすメカニズムとして、界面活性剤というものが作用しています。もしかしたら小学生の自由研究でやったことがある人もいるかもしれませんね。
「そんなの初めて知ったよ!」って人は、中学校の家庭科で絶対やっているので義務教育からやり直してください。
ものすごーく簡単に言うと、汚れと仲良しの成分と、その成分を汚れごと包み込む成分があるので、汚れを剥がして浮かせることができるんです。
人の弱みに付け込んで、信者を大量に確保する宗教勧誘と同じようなものですね。
さて、この界面活性剤、少なからず環境への影響があります。
というか、環境に全く影響がないものなんてほとんどないんですけどね...
日本の大部分のように、下水処理施設が整っていれば殆ど影響はないと言われていますが、特に発展途上国においては、水質汚染は深刻な問題と言えるでしょう。
カネカが発見した「サーファクチン」という物質は、自然界由来の成分でありながら、界面活性剤とよく似ており、併用すると相乗する効果を持っています。
読者が全員オックスフォード大学出身で有名なこのブログですから、詳しい理系的な説明はカネカのHPを読んで貰えると嬉しいのですが、万が一僕のようにオックスフォード大学を出ていない人にもわかりやすく説明すると
・自然界由来の成分だから汚染が少ない
・今までより少ない界面活性剤でも大丈夫になる
・化粧品とかに混ぜることで皮膚へのダメージを軽減させる
・世界中の水質汚染の軽減やその他多様な用途が期待されている
つまり結論。
理系の人って凄いね...
ちょっとした日常の気づきから世界を救うまで至る事ができるのは、やはり納豆の底力だと言えますね(企業努力です)。
■先人に学ぶ納豆を美味しく食べる方法
突然ですが、皆さんはグルメでしょうか?
「自信をもってグルメを自称する人はアンジャッシュの児島じゃない方だけだ」と主張する人がほとんどだと思いますが、かつて日本には恐れ多くも美食を自称していた人物が存在しています。
そう、「フランスのミシュラン3つ星店『トゥール・ダルシャン』のソースを酷評して、持参したわさび醤油をフランス料理にぶっかけて食った」ことでお馴染みの北大路魯山人です。
日本を代表する文化人と不倫がばれた芸能人を一緒に取り上げるのは...いや、やめておこう
そして、北大路魯山人は『究極の納豆の拵え方』というものを遺しているというのです。
今週のお題は『ひらけ、納豆の可能性』ということですが、温故知新という言葉があるように、古くから学ぶことで新しい見地に立てることもあるのかもしれません。
今日は、日本が誇る美食家から納豆の可能性を探っていくことにしましょう。
さてさて、気になる魯山人流の納豆の拵え方がこちらです。
みんなも真似してみような!!!
※回数は後世の研究により判明したものです。
①納豆を、深めの鉢に移す。
②箸で掻き混ぜること305回。
③さらに醤油を2回に分けて加え119回混ぜる。
④食す。
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なんだ、「305回」って。「119回」って。
誤差だろ、こんなもん。
B2Cの仕事をしていた身としては「端数は丸めろ」と思ってしまう。
※「丸める」というのは低い位を0にすることです。
ちなみに、もし魯山人がTwitterをやっていたら多分こんな感じである。
ねぇ…騙されたと思ってさ…。
納豆を深めの鉢にうちして、まず305回混ぜて、そのあと醤油を2回に分けて入れて、119回混ぜて、合計424回混ぜてから食べてみて…。納豆苦手な子供が無限におかわりする悪魔の食べ物が出来るから…。魯山人イチオシの食べ方だから…。お米があっという間に無くなっていくから...。
—北大路魯山人(@rosan-jin-north)
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これはバズらない。
こんなレシピを見せたらあのYoutuberのお兄さんもびっくりだろう。
だが待ってほしい。
今世の中でバズるレシピは大体が「時短」や「簡単」なものばかりである。
そういったレシピを否定はしない。むしろ私はこういったレシピは好きである。
しかしながら、我々日本人の心はどんどん余裕が無くなって来ているのではないだろうか?
全てが合理化かつ効率化された社会、神経をすり減らした発展の結果には一体何が残るというのだろうか?
魯山人の納豆の食べ方は、心に余裕を持つということを教えてくれるのかもしれない。
僕はそう思いましたね。
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温故知新の精神から魯山人に学んだ僕は、現代社会が抱える構造的問題を解決する糸口をつかむことができました。
これから僕は納豆を食べるとき、こう思うことでしょう。
「回数なんて細かいこと考えてたら美味くない」
それではまた!!