【その他】明治から平成、そして令和
堂島に架かる橋。高札の前に人だかりができている。
野次馬たちから断片的に聞こえる単語から考えるに、どうやら江戸は終わり、新しい時代になったらしい。
最近の動乱続きに加え、どうやら世間では色々なことが起こっているらしい。
「らしい、らしい」というのは、自分がそういった政であったり、戦であったり、流行り病や世間のことを何も知らないからだ。
興味が無い訳では無い。そもそも興味が無ければこうやって高札にまで来たりはしないのだから。しかしながら、自分だけがまるでそういったことを知らない。自分だけが今の時代に取り残されている。
新しい時代は『明治』と言うそうだ。
彼はしばらく明治の文字を眺めた後、ますます増えていく人だかりから去っていった。
朕菲德ヲ以テ大統ヲ承ケ祖宗ノ靈ニ誥ケテ萬機ノ政ヲ行フ茲ニ
先帝ノ定制ニ遵ヒ明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト爲ス主者施行セヨ
新聞の見出しに『大正』の文字が躍る。
どうやらA新聞がリークを得たというのは本当だったらしい。
「ほうら、だから言っただろう?」
記者の廣澤がコーヒーを飲みながら得意げに言う。
「そうだな、また当たった。お前の情報の速さには全くいつも驚かされるよ。」
廣澤の情報は役に立つものから、他愛のない物までピンからキリであった。
どこの店では米をたんまりため込んでいるであるとか、どこの店の看板娘が見目麗しいであるとか、裏の爺さんの猫がいなくなった、等々、小窪には廣澤の情報がいつも入ってきた。
情報を頼んでいるわけではないのだが、小さなころから人の話を聞くのが好きな小窪と、話したがりな廣澤の利害が一致したのだろう。
実際のところ、廣澤の情報に助けられたことも多い。米の価格が上がりそうなときは事前に教えてもらい買い占めや売り渋りから逃れることが出来たし、近くに狼藉者が潜んでいるらしいという情報で用心をすることもできた。
「だが廣澤よ。そんな情報苦労して手に入れる必要はなかったんじゃないのか。どうせ陛下がお隠れになられてからほんの数日で詔が出るんだから、そこまで待ってもよかったのに。」
小窪は思ったことを無遠慮に言った。
「小窪君。情報っていうのは役に立つだけがすべてではないよ。」
廣澤はさらりと言った。
「どういうことだい?」
「ここから先、情報そのものの価値が再評価される時代が来るってことさ。」
廣澤は続ける。
「今まで戦や政局を動かしてきたのは情報だったろう?これからも恐らくそうだろう。でもな、ここからの時代は情報を売れる。新聞が小窪君が言うようなピンの情報でカネを貰えるならば、キリの情報でカネを貰える日が絶対に来るはずだよ。」
「うーん、なんだか想像に難いな。」
「まあ見てなって。僕が言ったとおりになるからさ。」
廣澤はいたずらっ子のように微笑みながらコーヒーを飲み干した。
「ようし、小窪君。昼餉にするとしようじゃないか。『コロッケ』という料理を出す店があるらしくてな。僕はあれが食べてみたい。」
小窪は、つくづく新聞記者というものには敵わないな、と思いながら支度を始めた。
明日の天気は晴れらしい。この綺麗な声の持ち主は常盤静子という名前だ。そして ―新しい時代が来た。
なぜ私がこんなに物知りなのかというと、私の家には何でも教えてくれる不思議な箱があるからだ。
私の両親は嘘吐きだった。お休みなどほとんどなく働き、旅行に連れて行ってくれるという約束も幾度となく破られた。私の目が光を失ったときは、「すぐ良くなるよ。」と言われたのに、私は未だに私の妹の顔を知らない。
だけれども私にはラジオがあるから大丈夫。ラジオだけは私に嘘をつかないから。
今日の天気も当たったし、ラジオで聴いた『昭和』は本当に次の時代の名前だった。
私は今日もラジオを聴いている。明日も明後日も。
これからもずっとずっとラジオのことを信じている。
家にカラーテレビが来てから数年が経った。
そして今現在、彼が家族の中で一番お喋りだ。
家にテレビが来てからというもの、家の中での会話量がとても少なくなってしまった、と母はいつも愚痴っぽく言っている。そのせいか、母はテレビのことを憎く思っているらしい。
今の母のテレビアレルギーっぷりと言ったら、まるで親の仇のようにテレビを扱っており、母が家事をしているときに父と寝転んでテレビを観ていようものならば二人まとめてヒステリックにどなられた挙句、テレビのコンセントを引っこ抜かれてしまう。
昔は母に「ごはん中は静かにしなさい」「あんまり騒がないの」と怒られたものだが、今では「テレビばっかり見ないの」と怒られる。学校で教師が「人は変われる」と言っていたが、全く持ってそのとおりである。
だが今日は違った。母がみんなでテレビを観ようといってきたのだ。
とはいっても、最近のテレビは天皇陛下が重篤に陥り、崩御されてしまってから不謹慎なほど謹慎である。
そんな中テレビはたいして面白いものでもなかったのだが、どうやら今日は新しい元号が決まるというのだ。テレビをあまり見なくなってからご近所様の情報に遅れがちになり始めた母は、出来合いのコロッケと正月の残り物で食卓を埋めた。
昭和64年1月7日。昼が過ぎ、ようやく放送が始まるらしい。
テレビでも幾度となく観てきた眼鏡の顔が、今日はなんだか少し引き締まっているように見えた。
少し間を置いて、彼は全国のお茶の間に向けてこう言った。
「新しい元号は『平成』であります」
この映像はテレビで繰り返し流れた。あまりに流れるので、政治に全くと言って良いほど興味を持たない自分でも官房長官の顔を覚えてしまったほどだ。
そこから少し経ち、テレビは一転祝賀モードに入った。新しい天皇陛下と新しい時代を迎えた日本は、その国中が祝賀ムードだったのかもしれない。
しばらく経つとこの祝賀ムードも落ち着くのだろうが、今はもう少しこの雰囲気を楽しもう。どれだけテレビを観ていても私の母は平静そのものだから。
願わくば、まずは我が家から平穏に成ってくれますように。
そう胸の中で呟きながらザッピングを始めた。
私はTwitterのTLで令和を知りました。
元号という視点だけで考えても、ここ数十年でとらえ方は大きく変わったんではないでしょうか。STEM(Sience,Technology,Engineering,Mathematics/いわゆる理系)時代と呼ばれる昨今ですが、技術の進歩は本当に目覚ましい。
私たちは次の元号をどのようにして知るのでしょうか。
高札から新聞になり、ラジオを経てテレビ、そしてスマートフォン。
私たちが元号を知る手段は私たちの生きた時代を象徴しているように思えます。
私の愛読書である恩田陸先生の『ねじの回転』の冒頭でも語られていたように、高度に情報化された社会においてはアナログ的な通信手段がかえって重宝されるとか。
非常に興味深い話ですよね。LINEではなく伝書鳩が使われるようになったりして。
「お財布は?伝書鳩は持った?」「あ!伝書鳩あっちのカバンの中に入れっぱなしだった!!」
「伝書鳩、間違えて居酒屋に置いて帰っちゃったよ」
・・・なんて。
(おわり)